Meshuggah/Catch 33  (ASIN:B0007WZXVW)

去年発表したEP「I」(感想はこちら)を挟んで、3年ぶりの5thアルバム。トラックは13に分けられているものの、実質上は47分のランニングタイム全てが1曲、と言う構成になっている。また、どう言うわけかドラムは打ち込み。自らのバンドのドラマーの音をサンプルにしてリズムを構築しているので、打ち込みと言う印象は希薄ではあるが、人力でないリズムは確かにこのアルバムの異様さに貢献しているのかも知れない。
前作「Nothing」を更に突き進めた手触り。元から非人間的と言うか命の気配が極めて希薄な音楽性を持つバンドだったが、本作ではとうとう炭素の存在すら疑わしいところにまで突き抜けてしまっていて、あまりにも荒涼として不毛で、窮まって非生産的な世界観が否応無く聴き手に突き付けられる。重力が歪んだかのように超絶にヘヴィなミドルテンポのグルーヴが殆どスピードを変えずに47分ずっと提示され、そしてもうリズムを取ると言う事自体に意味が感じられない歪み切ったリズムも、少しずつ形を変えながら延々と渦を巻き続ける。アルバム一枚を通して大きな盛り上がりがあるわけではなく、また彼らの持ち味の一つ、変態的と言う言葉では済まされない程に病的でねじれたフレーズを恐ろしく流麗に紡ぐギターソロも殆ど本作では顔を見せず、つまりただひたすらに無機質で不自然で重苦しいリズムと怒号とが拷問のように繰り出される。救いや逃げ道は一切無く、音像を覆う鉛のヴェールのような閉塞感に飲み込まれ、水銀の海に沈められて窒息するより他に無い。
要するに、これはスラッシュメタルからスタートした彼らが辿り着いた、ある種のノイズ、ミニマル、アンビエントミュージックと言う事なのだろうと思う。あらゆる音(ヴォーカルの怒号さえも)から徹底して意味が剥ぎ取られ、聴き手の神経をぐちゃぐちゃに掻き混ぜるような、無意味でどこにも収束しない轟音がただただ虚ろに鳴り響く。ある一定のテンションが保たれ、尚且つさしたる展開も見せないまま終わる本作を聴いていると、段々音の大きさや重さや苛烈さに対する意識が摩滅してゆき、複雑過ぎるリズムは徐々にノンビートに等しく感じられるようになり、遂には極度にラウドな音像が逆に恐ろしいほどの静謐を湛えたもののように思えてくる。デスメタルの形態を極限まで突き詰めてこのような世界にまで辿り着いてしまった、と言うのはヘヴィミュージックの最前線を定義し続けた彼らだからこそのものだろう。他の誰がこれをやっても嘘臭くなってしまうだろうし、そもそもこれほど極まった音像は彼ら以外には作り得ない。本作は真の意味での「ロック以降」を、それも全く彼ら独自のスタンスで作り上げてしまった。そういう意味で、空恐ろしいまで一枚、と言えると思う。
だが、その一方で本作には決定的な弱点もまたある。それは、一言で言ってしまえば、この音には打ちのめされないと言う事。凄味が感じられない。
今までのアルバムは、どれほど複雑で難解な事をしていようとも聴き手が一発でノックアウトさせられるような、聴いた瞬間に解る格好良さがあった。だからこそ、ポップとは真逆の存在でありながら彼らの音は解りやすく明快だったのだけれども、本作にはその解りやすさが無い。上に書いたような本作の強み、美点はいずれもこちらから歩み寄って素晴らしさを見つけようと言う姿勢でこそ見えてくるもので、ある種の実験音楽と言う文脈の上での解釈を聴き手が(好意的に)行わなければ良さが伝わらない。前作までならば、こちらが歩み寄るも何も無く、音の方から聴き手に迫って来て蹂躙し尽くす力が満ち満ちていたが……これは、ヘヴィで情動と衝動に訴えかける音楽としてあまりに致命的な脆弱さだと思う。
本作で彼らが目指したところは、確かに繰り返して聴けば見えてくる。が、不快の末の快が必ずあった前作までに比して、本作にもそれがあるかどうか……より一層の極限を目指す彼らの志にきっと曇りはないのだろうが、聴き手としてはこれは非常に残念な一枚と言わざるを得ない。