The Mars Volta/Frances The Mute  (ASIN:B00074C4D0)

全5曲(ただし、トラック上は12曲分のパートに分かれている)で76分、更に#5「CassandraGeminni」は32分。と容赦なく既存のポップミュージックの枠組みを無視しつつ、真摯な対峙を聴き手に強いる2ndアルバム。
実質上全曲がひとつなぎであり、異様にテンションの高いヴォーカルの歌唱と楽器隊の演奏が、密室で乱射したマシンガンの跳弾のように炸裂する「動」のパート、アコーステックな静けさだったり物憂げに淀んだ空気だったり不穏でミニマルなノイズだったりする「静」のパートを何度も何度も切り替える事で、振り子の振れ幅を徐々に激しく大きくするように緊張感を高めてゆく、と言う手法でダイナミズムを生み出している。恐ろしく複雑な上に唖然とするほど手数が多く、緻密かつブルータルな演奏が全編で鳴り続けるが、ヴォーカルが常にキャッチーで情熱的な泣きのメロディを撒き散らしているために存外に聴きやすいのは前作「De-Loused In The Comatorium」と同様。動静の峻烈なコントラストを軸に展開するアルバム構成は(1曲76分、と言う形式の割には)比較的シンプルで、細密な構築美よりも勢いや攻撃性を重視する直情的な姿勢が見て取れる。
超絶にエモーショナルなギターと天を衝かんばかりのハイトーンヴォーカルの対決による緊張感、極めて変則的な脱臼リズムを幾ら撃ち放っても全く失速しないリズム隊の疾走感、そしてアルバム終盤で姿を現す管弦楽器の一斉掃射がもたらす爆発力は規格外のインパクトを誇る。情報量過多な作りの上、「静」と「動」各々のパートの切り替わりに脈絡があまり無いため、聴いていると脳髄を身体から取り出された上で巨大な洗濯機か何かに放り込まれて、見当識を根こそぎ奪い去られるような気分になって来る。そんな風に翻弄される感覚、不快一歩手前の快感が生むカタルシスは実に強烈。
音像の底を支えると言うより、もう一本のギターのように機能して忙しなく動き回るベース、怒涛のように叩き込まれる一音一音がやたらドライで鋭いドラムのコンビネーションも凶悪だし、焦燥感溢れるヴォーカルの説得力は凄絶の一言だが、本作の主役はギターだと思う。熱い嘆きを感じさせるラテン色濃厚で情感豊かなフレーズと、クリムゾン的に捻れ切った錯乱殺傷フレーズを全くの同次元で弾き倒す様は凄まじいとしか言いようが無い。#3「L'ViaL'Viaquez」や#6「Tarantism」での極めてハードロック的なソロワークや、#9「Pisacis(Phra-men-ma)」の静かだが危険な美しさを孕む演奏は特に見事。他のパートに比べると地味ながら、オルガンや電気ピアノの音を多用して印象的なプレイを聴かせるキーボード、要所要所で入るゲストプレイヤーの演奏も効果的で、「L'ViaL'Viaquez」の気怠げなスロウパートに挿入されるピアノや、「CassandraGeminni」でいきなり斬り込んで来るサックスも非常に魅力的。とにかく全編が聴き所だが、中でも聴いていて息が詰まる程に劇的なアルバム終盤は本当に素晴らしい。
だが、個々の演奏やメロディ、アルバムを構成するパーツそれぞれは緻密に造りこまれていて格好良いものの、各パートの魅力がアルバム全体の格好良さに短絡していて、「楽曲」と言う単位が殆ど放り出されてしまっている辺りには、やはり疑問を覚えた。楽曲単位のまとまりよりもアルバム一枚通してのインパクトを重視するデザインの意図は判るが、アルバム全体の構成はかなりストレート……言い換えれば少々雑なので、「個々のパート→楽曲→アルバム」と言う構造が明確で強固だった前作に比して、やや脇が甘いと感じられるのは残念。また、ノイズを数分間流し続けるようなパートは流石に冗長な印象で、もう少しタイトに仕上げても良かったのでないかと思う。
もっとも、そう言った詰めの甘さ、アンバランスさもまた魅力だと感じられる程の凄みがあるのは間違いない。この上なく歪にして叙情的、あらゆるものを繋ぎ合わせ積み上げて作り出した巨大な宗教的モニュメントのような、果てしなくエクストリームでプログレッシヴな傑作。これほどまで異形で、なおかつ規模の大きいアルバムは滅多に聴けないと思う。


追記。「L'ViaL'Viaquez」の最初のソロはジョン・フルシアンテが弾いてたのか……なるほど。クレジットをちゃんと読むまで気付きませんでした。