ある種の羞恥プレイ

不可解なものを見た。
地下街を歩いていたら、ギャル風の格好をした人が向こうから歩いてきた。年はたぶん俺と同じくらい、背はかなり高くて170センチ強、不必要なまでにキラキラした服を着て、えらく丈の短いスカートを穿いていて、早足大股で歩く足取りは颯爽としていると言えなくもない感じ。だが、顔に目を向けると、何とも奇妙な表情をしている。すごく納得が行かなさそうな、居心地が悪そうな、情けない顔になりそうなのを我慢しているような、どうしたらいいのか解らないんだけれどもとりあえず歩くしかないと言いたげな……一目見てそういうのが読み取れるくらい、とにかく困り果てているさまがはっきり出ている顔をしていた。往来を歩きながらそんな顔をしている人はちょっと珍しいなあ、と思ったんだけれども、その人が奇妙なのは表情だけではなかった。
顔を見て数瞬後に気が付いたんだけれども、どうもその人は女ではないようだった。いや、ぱっと見て明らかにこれは男だろう、と判断出来るほどではなかったが、見た後にちょっと考えれば男かも知れないと俺でも思い当たるくらいの、ゴリエを上方修正したような感じ。それ(170センチ強、ギャル服。よく見ると肩幅とかゴツい)が複雑微妙な表情で歩いている、と言うのは明らかにおかしい。罰ゲームか何かで女装でもさせられているのかとも思ったがスカートを穿き慣れていない風情ではなかったし、けれども居た堪れない言う感情ははっきり顔に出ていたとも思う。
普通に歩いていて擦れ違っただけだから、その人を俺が見た時間はせいぜい2、3秒だろうと思う。だがインパクトは強かった。と言うか強すぎた。ありゃ一体何だったんだろうな。
いずれにせよ、彼の経歴や置かれた状況についてひとしきり想像した後、女装は一度で十分だと言う思いを新たにした。

Children of Bodom/Are You Dead Yet?  (ASIN:B000AA7ECW)

非常にいいところを突いている。狙いどころは本当に絶妙だと思う。が、少々物足りなく、食い足りなく感じられるのも、また確かだと思う。3年弱ぶり、5枚目のアルバム。
去年発表されたEP「Trashed,Lost & Strung Out」を聴いた時に感じた変化は、アルバム全体に反映されている。前作やそれ以前のアルバムよりもヘヴィに、そして小回りの効いたコンパクトな構成になり、スピード感と同時にグルーヴ感も重視してアメリカのメタルコアを意識した作風を打ち出して来た。ただ、流石と言うか何と言うか、メタルコアっぽいところを取り入れつつも決してそれに飲み込まれる事なく、あくまでも一つの要素としてきっちり消化している辺り、したたかさが感じ取れるし、頼もしいとも思う。彼らの看板であるキーボードとギターの高速バトルは前作よりも更に減ってはいるもののなくなった訳ではないし、リフやメロディ遣いの随所にはいかにもこのバンドらしい哀感と、いくら洗練させようと思っても洗練し切れないクサ味がしっかり残っている。その一方で、ザラっとした手触りのある鋭いギターの刻みやリズム隊の高速ビートとミドルテンポの使い分けには、いま現在のエクストリームなヘヴィミュージックとしての説得力が込められており、結果として、今のアメリカの時流を睨みつつも自らの立ち位置を見失う事のない姿を提示する事に成功していると感じた。また、弱いとか下品だとか言われるアレキシ・ライホのヴォーカルの声質を逆に活かすような、ダーティなロックンロール風味が色濃くなっているのも良い。ザラザラと苛立たしく刺々しい、ラフで下品なロック(ただし、良くも悪くもやっぱり洗練に向かわずに野暮ったいところがあったりもするが)と言う路線はよくハマっていると思う。ガチガチに身を筋肉で固めたヤクザと言うより痩せ犬が牙を剥いて吠え掛かっているような感じで、それもまたなんとも言えず味がある。
どういう路線を目指すのか、どうやって独自性を打ち出すのか、については実に明確で納得出来る答えを出してくれている本作だが、その一方でどうも曲作りに関しては詰めが甘いように思える。画竜点睛を欠くと言うか、楽曲を扇情力高く仕上げるにはここしかない、と言う曲作りのツボを微妙に押し損ねているような感じ。音像が醸し出している雰囲気や、一つ一つのプレイ、リフ、ソロ、声質に合わせて設えられた楽曲の中でちゃんと良さを発揮しているヴォーカル、メロディ、それら個々の要素は格好良いんだけれども、あとほんの少しのところで高揚感が沸点に達してくれないと言うのが何とも残念であり、またもどかしくもある。曲作りやメロディの組み立てに必要な嗅覚は元からとても優れているバンドだと思うが、本作に関して言えば、楽曲は良く練られているものの、最後の仕上げに必要なハナが効いていない感じ。そのためか、どうも似たような曲が多いように感じられてしまうのも勿体無い。
そんなわけで、あと一歩の詰め不足で非常に惜しい一枚、と言った印象を受けた。ただし、繰り返しになるがアルバム全体としての方向性や雰囲気は良く、文句なく格好良いと思える瞬間それ自体は少なくない。不完全燃焼のきらいもあるものの彼ららしい魅力はしっかり封入された一枚であり、大見得を切ってみせたアルバムタイトルにあるような前のめりの姿勢の格好良さ、潔さは確かに刻み付けられていると思う。
なお、ボーナストラックとしてブリトニー・スピアーズとPoisonのカヴァーが収められている。両方ともまあジョーク交じりの正しくボーナスと言った按配だが、シリアスに傾きすぎずこういう頭の悪い事を平気でやってくれるのは個人的には非常に好印象。

Raredrug/11 Slide 27 Makes?  (ASIN:B000B6CUJC)

日本の二人組ヘヴィロックプロジェクトの、3年ぶりとなる2ndアルバム。極めてストレートな怒りを日本語詞に乗せて叩きつける荒んだヴォーカル、アメリカのラウドロック〜その源流であるスラッシュメタルの流儀を受け継いだヘヴィで攻撃的なリフワーク、その隙間を縫うように繰り出される刺々しいシンセ音、インダストリアルなビート、と言うのが音楽の骨子で、鳴っている音そのものに目新しさがあるタイプではないが、一つ一つの素材の組み合わせ方が非常に独特で、格好良い。ちなみに、ドラムは打ち込みなのだけれども、そうと聞かされなければ(と言うか、そうと聞かされていても)気が付かないくらいリアルで、普通に聴いている分には通常編成のバンドサウンドを聴いているのと何ら手触りに変わりはない。
好みがやや分かれそうな中音域のダミ声で怒りや憎しみや苛立ちを未加工のまま吐き捨てるヴォーカルと、潰れ気味になるまで歪んだギターの鳴りのせいで、ぱっと聴いた時の第一印象はかなりストレートなヘヴィロックと言った感じだが、実際のところは様々な仕掛けが施された複雑な曲作りがなされていて、聴き込むほどに印象が変わってゆく。リフの繋ぎ、リズムの切り替え、不意に現れるアンビエントな浮遊感、不穏なアルペジオで聴き手を幻惑しつつ、そうかと思えばギター・ベース・ドラム・ヴォーカルがユニゾンして一気呵成に突進する、と言った感じで、刺々しく攻撃的だがそれと同時に変幻自在でもある。特にアルバム後半にそういうトリッキーな要素を多く含む曲が並んでおり、比較的シンプルに突き進む楽曲が多い前半から通しで聴いていると、徐々にこのアルバムの世界観に引きずり込まれてゆくようになっている辺りはとてもクレバーだと思う。
ダークで近寄りがたいイメージを撒き散らすようなメロディ遣いが多いが、それでも耳に残りやすいキャッチーさが一つ一つのフレーズにしっかり備わっているのがいい。#2「Half Cock」、#5「Speakill」、それに#10「Relic」などはとても覚えやすいサビメロとザクザクと重い刃物で切り刻むかのようなリフが強固に噛み合ってカタルシスを産むし、ラストの#12「Vista」のいかにもラストらしい哀愁をたっぷりと含んだメロディも非常に印象的。個人的にはアルバム中盤の流れが一番気に入っていて、アルバム中最もストレートな疾走感を持つ#6「Cue」、聴き手を惑わせる3拍子のリズムと怪しげに浮遊するヴォーカルと凶悪なリフとディシプリン的なバッキングが交差する極めて眩惑的な#7「Spiral」、そこから更に怪しさと胡散臭さを増して似非シンフォニックな展開まで見せつつ悲壮感を演出する#8「Unlike」の三曲は本作のハイライトになっていると思う。
打ち込みの装飾音が時折ちょっとチープに聴こえるのと、#9「Multi - Purpus」で言葉がリズムに上手く乗っていないのが気になったが、全体的には聴き込み甲斐のあるタフなアルバムに仕上がっていると思う。細部まで凝り倒したマニアックな曲作りが頭でっかちにならないのはヴォーカルが持つ苛立ちが音像全体に行き届いて音に肉体性を与えているからだろうし、ガナるにせよクリーンに歌うにせよやや一本調子気味なヴォーカルは、押しと引きの対比が絶妙なアレンジの中心に置かれることでその魅力が十二分に引き出されているとも思う。その辺りの匙加減が実に絶妙。ヘヴィだが苦痛を伴うリアルな重さと言うより轟音とグルーヴの快感が重視されているバンドサウンドに耳を傾けていると、楽曲のそこかしこに仕込まれた毒気のある仕掛けが徐々に見えてくる、とても刺激的な一枚。お勧め。


このアルバム、リリースは21日なんだけれどもraredrugさんのご厚意でプロモ盤を頂いたのでこうやって感想を書いてみました。どんな音かって言うのは上に書いた通りで、貰ったからとかそういうのを抜きでこれはちょっとすごいアルバムだなあ、と思う。アメリカのヘヴィロックが好きな方は文句なく楽しめると思うし、Mad Capcule MarketsやWrench、ちょっと方向性が違うがgari辺りも好きな方、ムックとかDir en Greyとかcari≒gari辺りを聴く人にもアリなんじゃないかと思う。

セルアウトについての結構切実な悩み

俺はこれでも出来るだけ多くの人に自分の文章を読んでもらいたいと自覚的に考えており、なるべくそういう文章を目指して書いてはいるものの、しかしその成果ははっきり言って挙がっていない。そこで、対策を考えるために多くの人に読まれるブログが持っていそうな特徴を適当に列挙してみる。これらに自分が当てはまるかどうか、あるいはそういう方向性をもって文章が書けるかどうか、を検証してみようと思う。


1.書き手が芸能人である。
2.書き手が特殊な、あるいは専門的な職業についており、普通聞けない内幕の話が書いてある。
3.書き手が女子高生である。
4.流行に聡い(A)。モテ/非モテ、オタク/サブカル論争とか、ネットリテラシーとか、ネットで流行の話題についてにの言及が頻繁である。
5.流行に聡い(B)。テレビ・映画・アニメ・ゲーム・芸能・文芸・演劇・音楽など、エンタテイメントに関する話題について的確かつ素早いコメントが書かれてある。
6.外向きである(A)。他のブログに対して積極的にコメントを付けたりトラックバックを送ったりする。
7.外向きである(B)。テキストがそれ自体では完結しておらず、他人のコメントやトラックバックを誘いやすい。また、読み手に語りかけるタイプの文章が多い。
8.書き手の顔が見えやすい。この人はどんな人なのか、と言うのが話題や文章によく現れている。
9.攻撃的・露悪的である。他者に対して議論を挑んだり、あるいは(生産的・非生産的を問わず)何かに対して批判を加えることで文章のインパクトを増し耳目を集める、と言うスタイルを取っている。
10.単純に書いてあることが面白い。


現段階で、これらのほぼ全てに自分と自分の文章は該当しない。なんだか書いてて切なくなってきたが事実なので仕方ない。では、こういう方向性を目指せるかどうかを一つずつ考えてみる。
まず、1番は不可能。2番にしても、これから官僚や精神科医公認会計士や新小結にはなれないので無理に等しいし、3番も少々現実的でない。
4番については、強い興味と明確な問題意識と必然性をもって自分が語れるテーマと言うのが少ない(この手の話題は黙っていればそれで済むものが多い、と言う事もある)のでこっち方面のパラメータを伸ばす気があまり起きない。では5番はと言うと、音楽についてはちょくちょくと書いているものの、基本的にたくさんの人が興味を持つ方面と自分の趣味がちょっと離れているため「多くの人に読まれる」と言うのは難しいと思う。
6番7番だが、これをしたから読んでくれる人が増えると言うのは本末転倒だろう。結果としてコメントやトラックバックのやり取りが多くなるのであり、それを多くしているからたくさんの人が読むと言うわけではない。8番は、これはどうかなあ……自分では、どうしようもなく人となりが露わになってしまっている文章を書いていると思うが、人に「お前の書いていることは解りにくい」と言われる事もたまにあるので、どこまで自分が出ているかは正直言って疑わしい。また、「顔の見える文章」と言うのは意識して書けるものでもない。そして、9番は自分の流儀に反するので許容できない。
従って、10番に活路を見出すしかないと言う事になる。なんだ結局いつもの結論か。改めてこんな風にだらだらと箇条書きにしたり検証したりする必要はなかった。
面白い人になるというのは難しい。とても難しいと思う。これが、2年ほど日記を書いていて学んだ唯一の事だと言ってもいい。面白い人になる方法と言うのを知っている人がいたら是非教えて欲しい。教えてくれたら日本酒の一升瓶を進呈しても良いとさえ思う。

Elbow/Leaders of the Free World  (ASIN:B000AP2YZE)

2年ぶり、3枚目のアルバム。静謐の美を極めた前作「Cast of Thousand」より多少動的になっているが、このバンドが持つ本質的な静の部分、あるいは地味さ・淡白な風味は全くもって相変わらずなので、前作までが好きなら文句なく楽しめる内容。であると同時に、このアルバムからElbowを聴く、と言う人にとっても幾分取っ付きやすくなっていると思う。アルバムの内容とは直接関係無い事だが、Genesis「Trick of the Tail」を思い起こさせるアートワークも個人的にはとても好み。
この声で歌われると大抵のメロディは清冽さと翳りとが両方いっぺんに出て来るのではないだろうかと思えるような、瑞々しくもどことなく禁欲的な歌声。と言うのはやはりこのバンドの第一の魅力だと思う。今までも基本的に歌を立てた曲作りをしていたが、歌がより一層楽曲の前面に出てきた感じ。しっとりとした落ち着きと叙情性を保ったままでメロディの質が全体的に解りやすい方向に底上げされていて、歌だけを追って聴いていても十分印象に残るメロディが出てきたと言うのは好印象。また、リズムもはっきりとメリハリが効いたものが増えていて、硬質だがどことなく暖かいリズムと美しいメロディの絡み合いが非常に上手く行っているとも感じた。#1「Station Approach」、#2「Picky Bugger」、#4「Forget Myself」など、序盤〜半ばにかけて歌とリズムの両面において躍動的なイメージのある曲が配されていて、「Station Approach」「Forget Myself」などは大仰ではないかと思えるほどに壮大なのだけれども、ちゃんと地に足が付いていて浮ついたところがなく、説得力のある音になっているのがとてもいい。また、表題曲でもある#6「Leaders of the Free World」はこれまでになく直接的で悲壮感に溢れるメロディを持つダウナーなダンスロックで、多少アルバムの流れから浮いているきらいもあるが間違いなく本作のハイライト。
中盤までは(このバンドとしては、だが)比較的ダイナミックな楽曲が続くが、その一方で後半は前作までの雰囲気を踏襲した静かな曲が並んでいる。アコースティックな手触りのバンドサウンドと淀みなく紡がれるメロディは、聴いていると気持ちがゆっくりと鎮められるもので、まるで祓い清められた境内のような清浄で凛とした空気が広がってゆく。一聴ではさほど引っかかりのないように思えるものでも不思議と耳に残ってしまう、そんな芯の強いメロディが中心にあり、その周辺には絶妙な距離感でバンドサウンドやシンセの音が配されていて、しみじみと聴き入る事が出来る。
教会音楽やゴスペルの影響が強かった前作と同じく、あるいはそれ以上に、敬虔という言葉がぴったり来る音楽だと思う。神秘的で神々しさのある音ではなく、神々しい何かに正面から向き合う人間の姿を描写した音楽、と言うか。聴き手の姿勢を正させる、そんな本作が醸し出す清らかな空気は濃密で、何とも独特。独特な割にどうにも良さが今一つ伝わり辛い、と言う地味さはもはや確固とした個性とさえなっているように思えるが、それでも曲作りの巧さと言い実のあるスケール感と言い、これまでで最もフックのある優れたアルバムに仕上がっていると思う。上手く魅力を文章として伝えられていないのがもどかしくもあるが、これはとても良い。いつも手元に置いておきたくなる一枚。