現役女子高生の肉筆集め

と言っても、実際には半数以上がワープロなりPCなりを使って書かれたものではあったが。いや、一体何の事かと言うと、女子高の読書感想文に目を通して添削のような事をする機会があった、と言う話。
「私は、まだ大人ではない」と言う書き始めの一文の「まだ」に傍点を付ける事が出来る。「私も、あと数年もしたら完全な大人になってしまうだろう」と言ってしまえる。と言うのはやっぱりすごく高校生っぽいと言うか何と言うか、良い感じ。もっとも、そういう勢いの良い文章と言うのは俺が読んだ中には殆ど無くて、むしろやたらと綺麗にまとまっている文章の方が多かった気がする。まあ読書感想文だから、真面目に書こうと思えば(或いは、適当に流そうと思えば)あまり面白味のないものになるというのは解るが、どの感想文を読んでも殆ど書いてあることが同じ、と言う課題図書があって、もうちょっとこうそれぞれのカラーみたいなものがあっても良いのではないか、とは思った。
本に書いてあることを全然疑っていない、批判的な態度や意見を表明しない、と言うのも多くの感想文に共通していた。課題図書の一つに「星の王子さま」があって、あれの出だしを引用している感想文が多かったんだけれども、

おとなは、だれも、はじめは子どもだった(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)

この一文、真に受けてはいけないものだと思うが、これを大前提として子ども=良い、おとな=悪い、の二分法になっている感想文がやたらと多い辺り、素直だと言う事なのか、それともこれも適度に書きやすい方向に持っていっているって事なのか。
あと、やはり言語感覚が自分とかなり違う。「してあげる」「してもらう」を敬語感覚で多用する傾向が全体的にあるのも面白かったが、「気付かされる」「はっとさせられる」「驚かされる」「ドキッとさせられる」などの表現が非常に多いのも特徴的だった。これ、自発じゃなくて受身として使っているんだよなあ、やっぱり。読んだ感想文が一様に「私はこの文章を読んではっとした」ではなく「わたしはこの文章にはっとさせられた」と言う構文を使っていて、それが自分の感覚にはどうにも合わない。本をそういう主体として捉えると言うのは正しく受身な態度なわけで、その姿勢が文法に出ているってのはなあ……綺麗にはまとめているが踏み込みが今一歩な文章が多い事と言い、そういう受動的な姿勢と言い、もうちょっとアグレッシヴなところがあっても良いのに、とは思いながら読んでいたのでした。
しかしまあ、こういう自分と全然接点のない人たちの文章を読むってのは面白いな。