幕間

ちょっと散歩をしてくる、と両親と犬二匹に言い置いて、22時過ぎに実家を出た。元々は言葉通り家の近所をぐるりと一周して帰ってくるつもりでいたが、途中、子供の頃よく遊んでいた公園の側を通りがかった時に何となく気が向いて公園の中に入ることにする。
その公園は、地面から階段5段分ほどの高さに作られていて、周囲を緑色のフェンスで囲まれている。北を除く三方に入り口が設けられており、俺はそのうちの東側にあたる入り口の階段を上って公園の敷地に踏み入った。丁度中央にある街灯の真下まで歩いていって、そこで街灯に寄りかかる。入り口のない北側を背にして、タバコを取り出して火を点けた。この公園に夜立ち入るのは殆ど初めて……いや、そうでもないか。花火をする時は、ここまで近所のアナンやヒデ君やヒデ君の姉ちゃんや俺の弟と来たんだった。
辺りを、ぐるりと見回す。地面に半分埋められたタイヤは、元々はカラフルに塗り分けられていたものがもう随分と色褪せている。滑り台、ブランコ、鉄棒の類もそれぞれ年月相応に色が落ちているのが、街灯の大して明るくもない光の下でもはっきりと分かった。ここが作られたのがおおよそ20年強くらい前のはずだから、まあこんなものだろう。西側の入り口の隣には公衆トイレ、それから東側の入り口付近には掃除道具入れの倉庫。フェンスの上によじ登って、それらの平たい天井の上に飛び乗り、腹ばいになって隠れたりしたものだった。公園の半分はちょっとしたグラウンドのようになっていたが、ここではよくサッカーの真似事をして遊んでいた。公園の周囲にある溝を使ってミニ四駆で遊んだりもした。
俺が子供だった頃は、この団地もまだ子供が多かった。と言うか、その頃がここに一番子供が多かったと思う。大抵の家には小学生か中学生の子供がいて、それぞれに公園やそこらじゅうの道路に集まって放課後は遊んだりもしていた。今は、この辺りも子供が随分減ったのだろう。「○○ヶ丘」と名前がつくような集合団地と言うのは概ねこう言ったもので、入れ替わりが少ないから子供の数は年を追うごとにどんどん少なくなってゆく。それは、公園を取り囲む家々の二階に殆ど灯りが点いていない事からも窺い知れた。この公園が前のように使われる頻度も、きっと少なくなったのだろうと思う。
誰もいない夜の公園を今こうやって眺めているだけでも、その辺りの事は結構するすると思い出せるが、小さな頃の自分は結構遊び回るのが好きな、割と元気な子供だった。一人でぼんやりしているのはむしろ嫌いだったし、人見知りもあまりせずに初めて知り合ったような相手でもすぐに打ち解けたりもしていた。当時と今と、勿論しっかりと連続した時間軸の上に自分はいるんだけれども、まあ随分違った感じになってしまっているなあという気はとてもする。何時頃から、こういう愉快とは言えない感じの人になったんだったか。子供の頃から今に至るまでの自分と言うのをざっと思い出してみたが、きっかけと言うのは特になく、徐々にそうなって行ったのだろうと思う。
ただ、あの時こうしていれば良かった、その時こういう風に言ってさえいれば、と言うような事は沢山思い出せた。そんな出来事の積み重ねが、良くも悪くも今に繋がっているのだろうとは思う。ここで走り回っていた頃、少なくともそんな後悔だとか迷いだとかとは無縁だった。
そんなことを考えながら、タバコを3本くらい街灯の下で吸った。これも、高校くらいの頃まではこんなものを吸って自分から身体に毒を入れるのは馬鹿のやる事だと思ってたんだった……こうやって、この公園でタバコを吸う事があるとは、当たり前だが今の今まで想像したこともなかった。吐いた煙が街灯の光で透けて見えた。
だからどうだと言うわけではない。だからどうだと言うわけではないし、ぱらぱらと小雨が降ってきたのでそのまま家に帰った。



余談。
そのヒデ君のお姉さんと言うのは俺よりも3つ年が上で、えらく可愛いかったんだけれども随分醒めたところもある人で、今でもヒデ君の姉ちゃんと似ている人とは、喋っているととても楽しいと思う半面でどうにも喋りにくい。空回りしてしまったり頑張り過ぎてかえって滑ったりするような感じになってしまう。そういうタイプの人が嫌いかと言うと全然そうではなく、むしろその逆なくらいなんだけれども、その一方で苦手意識が植え付けられてしまっている感じ。よく考えたら彼女は眼鏡をかけていたので、その頃からもう既に自分の趣味の方向性と言うのは決定付けられていたのかもしれない。