K・シャンカーとアジ缶詰の話

Asian Kung-Fu Generationのヴォーカル兼ギタリスト、後藤正文の写真を見るたびに、俺の知っている誰かと良く似ていると言う気がしていた。気がしていただけでそれが一体誰に似ているのかずっと思い出せなかったんだけれども、音楽雑誌「BREaTH」の写真を見た時、唐突に思い当たった。この人は、高校時代の世界史の教師に似ている。目の感じとか、唇とかが。思い出せて気分がすっきりしたので、それから月面さんを読んでちょっと触発されたので、つらつらとシャンカーの話をしたい。


大学を卒業して数年間ボランティア活動をした後、インドで数年間放浪生活をしていて、放浪中、シタールの高名な弾き手に師事した時に貰った名前が「シャンカー」なのだ。と言う話を、どのクラスの最初の授業でも彼は話した。なので、改まった場所以外では生徒の誰もが彼をシャンカーと呼んでいた。
シャンカーは、何と言うか、ものすごく変な人だった。冴えないミュージシャン志望か予備校生みたいな雰囲気を持っていて、見た目は若かったが三十路は過ぎていた。高校のときは医師希望で、当時の共通一次、今のセンター試験で750点取りながら二次試験の前にマージャンばかりやってて第一志望に落ちて私大の法学部にギリギリ滑り込んだり、インドに行ってシタール習ったり赤痢で死にかけたりカレーを食ったり、インドとパキスタンの紛争地帯をバイクで観に行ったり、出国する時荷物に何故かデリンジャーが紛れ込んでいて大騒ぎになったりハシシ吸ったり、美人の女医さんと見合いをして、主夫でも良いからと言う条件で結納寸前まで行ったのに急に嫌気が差して国外逃亡したり、と言うような異様に濃い人生経験の話を授業の合間に淡々とした口調で話してくれた。シャンカーが授業中に要所要所で口にする「ファシストになりたい人は覚えておきましょう」と言う決まり文句は何となく好きだった。彼の授業は面白かったが、唐突に「愛なんて所詮粘膜が見せる幻覚なんですよ……」みたいな事を言う事もあった。高校生に向かって言う台詞ではない、と思った。
妙に短気なところもあった。ある時、俺が退屈な古文の授業で寝そうになっていた時、隣の教室からものすごい怒鳴り声が聞こえてきてびっくりした事があったんだけれども、後になって、それはシャンカーが授業態度が悪い女子生徒に「このクサレが!」と怒鳴りつけた声だ、と知った。他にも彼がいきなりブチ切れた話は何度か聴いた事があったが、その原因はと言えば大抵はどうでも良い事のようだった。何でも、高校の頃は随分荒れていて今とは比べ物にならないくらい短気だったらしい。ある壮年の生物教師にシャンカーは頭が上がらなかったが、それは何故かと言えば、その生物教師は唯一シャンカーが高校時代に殴られた教師だったからなのだった。
そんな風に時たま暴発する事もあったが、普段は飄々としていて全然掴み所の無い人でもあった。法学部出身で教職課程を取らないまま教師になったと言う事もあってか、教師と言う職業に使命感や責任感のようなものをあまり持っていなかった。規範意識も皆無で、寝坊して遅れて学校に来るなどと言う事もしょっちゅうだった。ある時などは、何時まで経っても学校に出てこないので、学年主任が学校の程近くにあるマンションまでわざわざ叩き起こしに行った事もあったんだとか。そういう、ある意味どうしようもなくユルいと言うか社会不適応者一歩手前みたいな人だったが、頭はものすごく良かった。インドを数年回っていたせいで、インド訛りながら英語も全く問題なく読み書き出来た。シャンカーとは対照的に真面目で情熱的な英語教師が、何となく悔しそうに「彼は今すぐにでも英語の教師が出来る」と言っていたのを覚えている。とにかく、あらゆる意味で「外れた」人で、この人の醒め具合だとか浮世離れ具合だとかに何となく憧れのようなものを抱いていたのは、多分俺の他にも少なくなかった、と思う。基本的に寛容な人だったし(今になって思えばそれは淡白の裏返しでもあったんだろうけれども)面白い話を聞かせてくれるし、この人なりに自分の生徒達の事は好きんだろうなと言うのも一応伝わってきていたので、生徒の人気は割と高かった。
ある時点から、シャンカーは「妹がアパートに同居している」と言いながら、その妹の話をしきりに生徒にしたがるようになった。昨日は妹とゲームしていたとか、街に連れ出されて散々振り回されたとか。その頃俺は「萌え」と言う概念に未だ出会っていなかったが、当時からその言葉を知っていれば間違いなく「妹萌えシャンカー」とか言っていたと思う。だが、シャンカーが妹がどうとかしょっちゅう言うようになってしばらくしてから、彼が「妹」と言っていたのはその実どこかで拾った家出娘だったと言う話が噂に聞こえてきた。更にしばらくしてから、「結婚する事になった。失敗した」みたいな事をシャンカーが言っていた、と言う話を友達の友達から聞いた。何故か、俺は、その言葉を口にしている時のシャンカーの顔、これ以上ないくらいの渋面がえらくはっきり想像出来た。
この話にこれと言ったオチは無い。俺たちが高校を卒業するのと同時に、シャンカーも転任して行った。新しい職場は工業高校だった、らしい。結局その妹と結婚したのか、今どうしているのか、それ以来シャンカーの話を聞くことはない。結婚はともかくとして、普通に考えれば今でも教師をやっているはずだが、何せシャンカーだからなあ。それこそ、いきなりイラクにでも行きそうな人ではあった。