Downy@福岡ビブレホール、9/17

ダウニーを観るなら、アルコールは入れておいた方が良さそうだ、と思っていた。が、会場のビブレホールにはドリンクバーがない(それに禁煙)。なので、しばらく考えた末にウィスキーのポケット瓶を行き道の途中で買い、持って入った。会場の隅っこでポケット瓶を煽りながら開演を待っているのは恐ろしく駄目人間っぽい気もしたが、深く考えない事にする。ダウニーを観に来るのは一体どんな人たちなのか、と言うのに興味があったので飲みながら観察していたんだけれども、とくに傾向や特徴があるわけでもなくて普通のロック好きそうな人たちでした。しかし、ライヴの間ほとんど棒立ち状態の人がえらく多かったな。曲間の拍手も無かったし。あんなに動かない人が多いライヴは初めて……いや、クリムゾン以来二度目か。ドラム・ベース・ギター・ギター兼ヴォーカル、と言う編成でギターの人が座って弾いていたのもあれを連想させたし。どこまで意識しているのかは解らなかったが、ヘヴィなリフと変拍子と荒涼とした音風景にはポストロックの色合いだけでなく、確かにクリムゾン由来の暗黒プログレ色も漂っている、と言うのはライヴで改めて確認出来た事の一つ。
開演時刻からさほど遅れもなく、客電が落ちてメンバーが入ってくる。で、いきなり「Underground」、そこから「酩酊フリーク」、更に新譜の中でも最もブルータルな「△」と続く、冒頭のこの三曲の流れだけで脳髄にアルコールとよく似た何かを流し込まれたような錯覚を起こした。暴力的なベースと無機質ながらグルーヴィなドラムが作るリズムの反復、果てしなく残響が広がっていく美しくも破壊的なギターノイズ、CDよりも幾分前面に出て聞き取りやすいヴォーカルの陶酔感ある声ががっちりと組み合わさって、酩酊を誘うサイケデリックで幻想的な轟音と静寂が可聴領域全てを覆い尽くす感じ。演奏能力は相当に高く、予想していた以上にバンドとしてしっかりとまとまりのある音を出していた。また、このバンドには音源だけでは測れない要素として映像担当のメンバーがいるが、スクリーンに映し出されて音楽とシンクロする映像もそのサイケ感覚を巧みに助長するもので、ダークで儚げなギターの音を更に表情豊かなものにしていた(ただし、映像自体は抽象的でそれほど印象深くはない……と言うかあくまで添え物と言った感じだったが)。観ているうちに、音と映像と自分の神経がダイレクトに繋がっているような気分になって、ひたすら心地良く身体を揺らしていた。少し酒を入れていたのは正解だったな。
MCは殆ど無し、曲が終わっても間を置かずに次の曲を淡々と演奏し始める、と言うバンドの立ち居振る舞いは、いかにもこういう曲を演るアングラなバンドっぽく無表情で俯き加減。全員がほとんど動かずに轟音を吐き出している様は、まあ見た目のインパクトには欠けているがそれはそれで格好良かった。ヴォーカル兼ギターの青木ロビンだけは時に身体をよじらせながらギターを弾いたりしていたが、その動きもどこか激しさよりも静かさを感じさせるものだったように思う。ただ、聴き手を縛り付けるような圧倒的緊張感・威圧感がバンドの立ち姿から感じられそうだと観る前は考えていたのが、実際はそれほどでもなかったのは少々意外だった。上手過ぎるためか淡々と過ぎるためか、鬼気迫る感じは無かった気がする。まあ、それはあくまでも見た目の話で、バンドサウンドの方はタイトかつ凶悪ではあったが。
ある程度飲んでから身体と頭を揺らしていたために、気持ち良いとか格好良いとかそういう大まかで漠然とした印象は残っているものの、あまり曲目を細かく覚えていない。「山茶花」「黒い雨」「無空」「弌」「苒」「Fresh」「漸」「象牙の塔」……辺りはやったような。楽しみにしていた「サンキュー来春」が聴けなかったのは少し残念だったが、俺の知らない曲(つまり1st収録曲)含めて、新譜を中心にどのアルバムからもバランスよく演奏していたと思う。CDを聴いていると、リフ中心で組み立てられた曲が多い事もあって割とどの曲も似ているような印象を受けがちだが、生で聴くとやっぱりそんな事はないな。一曲一曲がそれぞれ別のものでありつつ、ダークで繊細でどこか閉じている、と言う印象は共通している感じだった。渦巻く轟音にやられっ放しの1時間半弱。存分に堪能しました。


なんか、最近ライヴも音源も感想だらだらと長く書き過ぎですかね。次はもう少しコンパクトにしてみよう。