坂本真綾と萌え


坂本真綾の『少年アリス』がようやく借りれた。かなり良いアルバムだと思うが、彼女に萌えるメカニズムというのがオレにはさっぱりわからない・・・わからないんだ・・・

何かを笑うと言う行為が対象を自分のレベルまで引き摺り下ろそうとする事だって言うのに似て、何かに萌えるってのは対象を自分の近くに置いておきたいって心の働きを含んでいると思う。つまり、「遠くの何かに手を伸ばし」「それを自分の近くに手繰り寄せる」と言う二工程が萌えなわけで。萌えた後に続く妄想(そこには穢すって動作が大抵入ってる)は、自分の近くに対象を引き寄せた結果現れるものだし。ただ、それが出来ない程対象が高潔だったり自分から遠い存在だったりして手が届かなくても、手を伸ばそうとするだけで萌えって言えるし実際言ってる、って構図がある、ような気がする。id:albatross:20031210で書いたとおり、比較的カジュアルだった「Lucy」はともかくとしても「少年アリス」は実際もう萌えとか言ってられないくらいぶっ飛んだ高さ遠さを備えたアルバムだと思うんだけれども、それでもなお萌えーとか言う人は多いのはこう言う事なんじゃなかろうか、と普段全然使わん頭使ってみたけれども答えになっているのか全然自信が無いです。あと、ラジオとか聴いてる人は単純に喋りが可愛いと思ってるだけなのかも知れない。
神々しい……と言っても、坂本真綾本人の詞と歌・菅野よう子の曲、そのいずれもキャッチーである事に十分に配慮が為されていて、しかもそのキャッチーさに一定以上の説得力があるためポップミュージックから逸脱していない、って辺りがやはり巧いと思う。無菌室で純粋培養された神々しさだけでなく清濁併せ呑む姿勢もうっすらとながら見える、と言うのが聴いていて改めて好きです。


しかし、こういう考察めいた事をたまに書くと、考えの深さ浅さとはまた別のところで何だかとても自分がはしたない事をしているような気分になってくる(あくまでも、自分がそれをやってる、って事が。他の方にはまたそれぞれの好みや流儀があるはずだし)。何でもかんでも説明してしまおうとする姿勢や意味がありそうで無い発言よりも、ハナっから意味内容が全然無い話の方が粋に感じられる、と言うか。粋にはなれなくとも、せめて慎み深くありたい。