呪術について

呪術、と聴いてどんなイメージを持つかは結構人それぞれだが、いずれにせよあまりこの言葉がプラスの印象と共に使われることは多くないと思う(文化人類学民俗学のタームとして使われる場合は別として)。「魔法」のファンタジックでノーリスク・ハイリターンなイメージとも、「魔術」「錬金術」の実際的なイメージ、或いは退廃的なながらどこか洗練されたイメージと異なり、「呪術」が想起させるものは泥臭いし、生臭い。未開だとか未知だとか、そういう言葉がたぶん「呪術」には予め含まれていて、だから呪術と言う言葉には非西欧圏的な……ネイティヴアメリカンだったり、中東だったり、アフリカだったり、オセアニアだったり、時には日本だったり……イメージが付きまとう。
音楽についての話で、「呪術的な」と言う形容が使われる事は、多分「魔法的な」「魔術的な」「錬金術的な」のどれよりも多い。この形容が使われる時、どういう風な感じの音を指すかと言うのは大体決まっているからだろうと思う。呟くように延々と続く呪文を詠唱するヴォーカル、打楽器が緩やかな抑揚を保ちながら延々とどこまでもリズムを紡ぎ出し続けているさま、ぐねぐねと蠕動するベースライン、不協和音、或いは空間が歪むようなヘヴィネス……「呪術的」な何か、と言うのはこんな音を指すのだと思う。主に、メロディではなくリズムに対して使われる形容で、しかもそのリズムと言うのはどこか非西欧的、土俗的で、始まりも終わりもないかのように、時間が捻じ曲がっているかのように続く。そういう感じ。言ってしまえば、「呪術的」と言う言葉を用いられる種類の音は、(まさに呪術と言う言葉のイメージの通りに)不気味な印象を与えるもので、得体の知れない何かを孕んで力を溜め込んでいるかのような、人間でない何かを呼び寄せているかのような不穏さ、がこう言う音には付きまとう。出している音自体は抑制されていても音の奥に「何か」が潜んでいる、そんな手触りがある。
だが、呪術的な何か、と言うのはただ単に不気味なだけなのではなくて、どこか非常に人間臭いところもある。音に潜む「何か」と言うのは、結局のところグロテスクで見苦しいまでの生命力、に近いものなんだろうか、と思う(そう言えば、死のイメージと呪術のイメージが共存している、と言うのはありそうでなかなかない)。何が何でも生き延びてやろうとか子孫を残してやろうとか、そういう執念めいた感情が反復の低音に篭められていて、だからそういう呪術的な音、有機物の脈動めいたあやしげなうねりと言うのに惹かれるし、聴いていて高揚するところがあるのだろうとも思う。
ちょっと前までは、整合感があってがちがちした音、洗練されたものを専ら好んでいたんだけれども、最近はそういう土俗的で生命力が伝わってくるような、それも命の喜びを歌い上げる祝祭的なものよりもグロテスクな命の蠢きが脈打っているようなものも、少しずつ好きになりつつある。と言う話。