多くの言語で否定の言葉はNの音を持つ件について

専門学校の講義が終わった後の話。
荷物をまとめて立ち、右肩に左手を当てて右腕をぐるぐる回しながら、教室から出てゆこうとしていたクラスメイトに向かって「ほんじゃあまたねー」と言ったら、彼はこっちを振り向いて、
「今、お前『またにぇ』って言ったろ」
などと言ってきた。俺は確かに滑舌は致命的に悪いが、そんな事を自分から言ったりはしない。
「いや、言ってないよそんな事。ちゃんと『またね』って言ったよ」
「いいや確かに言った。俺ちゃんと聞いたし」
「言ってないって」
「絶対に言ったって」
「言ってニェット」
「……」
「……」
呆れ果てた目で見られた。
つい魔が差したのだ、ほんの出来心だったのだ、と必死で弁明した。


しかし、お気付きの方もおられるとは思うが、魔が差しただの出来心だっただのと言うのは本心からの言葉ではない。これ以上自分の人格を疑われないために体裁を取り繕った言葉だった。言うなれば保身のための嘘だったのだ。
本当はそんな心にもない事を言いたくはなかった。俺としては改心の一撃のつもりだったのに。
言ってニェット。
……。
面白いと思うんだけどなあ。