かくもささやかな凱歌

今日の昼、俺は3年間に渡って俺を縛り付け、責め苛んでいたトラウマに打ち克った。この喜ばしい出来事、俺の収めた勝利について書きたい。
そのためには、まずそのトラウマが一体何だったのか書く必要がある。そこから話を始めようと思う。


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今年と同じく猛暑だった3年前の夏休みのある日、急にお好み焼きが食べたくなった俺は、正午を少し回ってからお好み焼き屋へ行く事にした。自宅から20分ほどの距離にあり、本屋と駐車場を共有するそのお好み焼き屋へ、うだるような暑さの中で自転車を漕いで向かう。着いた頃には全身に汗を掻いていて、20分そこそこ自転車に乗っただけでかなり疲れていた。
店内に入りテーブルに着いて、店員さんが持ってきてくれたお冷を一気に飲み干し、メニューを睨んで注文を決める。そのとき何を頼んだかははっきりと覚えていないが、たぶん豚とイカを具に使ったお好み焼きだったと思う。
注文を済ませてから3分くらい経つと店員さんが2つのボウルを持ってやって来た。そして、そのボウルをテーブルに置き、テーブルに埋め込まれた鉄板に火を付けた。何か不吉な予感を感じた俺は「あの……」と店員さんを呼び止めようとしたが、声が小さくて届かなかったせいか、店員さんは俺の声に気付くことなく去って行った。そして、目の前には、具が入ったボウルとお好み焼きの生地が入ったボウルと熱せられた鉄板が残された。お好み焼き屋に一人で行ったのは実はその時が初めてで、かつ俺はお好み焼きを焼いた事がそれまで一度もなかった。
俺は途方に暮れて、2つのボウルに入った材料を眺めていた。
……。
約10分後。俺はお好み焼きと似た何かをほとんど半泣きになりながら食べていた。俺の作成した物体とお好み焼きは、構成要素は同じなのに全くの別物だった。まるで鉛筆の芯とダイヤモンド程も違うものだった。俺は完全に打ちのめされた気分になり、もそもそとその物体をどうにか食べ終えて、代金を払い、すごすごと店を出た。それから、また20分くらいかけて酷暑の中を自転車を漕いで家に戻った。言いようのない敗北感と切なさと激しい徒労感を、帰り道の間ずっと感じていた。
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3年前にこんな経験をしてから、俺はお好み焼き屋に入れなくなった。その後、友人に「店員に、焼いてくださいって頼んだらちゃんと焼いてくれるんだよ。お前はそんな事も知らなかったのか?」と懇切丁寧にお好み焼き屋のシステムについて教えて貰ってはいたが、いざ「焼いて下さい」と頼んだ時に「いえ、お客様、申し訳ありませんが当店はお客様ご本人の手でお好み焼きを焼いて頂くシステムとなっておりますので」と言い渡されて、あの無残な夏の再現となる可能性を完全には否定出来ない、と思うと、やはりお好み焼き屋の自動ドアを潜る勇気が持てなかった。その状態のまま、3年が過ぎた。
そして、今日。いつまでもこのままではいけないと思い立った俺は(お好み焼きが食べたくなっていたし)意を決して3年前と同じお好み焼き屋に昼過ぎに出向いた。自動ドアを潜る前、「やっぱりやめようかな……」と言う気弱な部分が頭をもたげたが、意志の力でその考えを抑え、店に入った。
テーブルに着くと、やはりすぐにお冷を持って店員さんがやって来た。俺は、内心の不安を押し殺し、なるべく堂々とした態度と余裕のある振りを装いつつ、店員さんにこう言った。
「ええと……ネギチーズ福岡風、1つ。あー。それと、あの、焼いてもらえますか?」
「あはいかしこまりましたー。それでは鉄板に火は入れないでおきますねー」
勝った。いや、克った。
俺は3年前の亡霊をに葬り去ることに成功した。そして、十数分後に来た完全なお好み焼きを、とても清々しく幸せな気持ちで食べた。美味しかった。


だが、食べ終わった後、冷静になって考えると、どうして俺はこんな簡単な事が3年もの間できなかったんだろう、と言う疑問が頭に浮かんで来た。そもそもお好み焼きが焼けない、と言う時点で何か致命的な敗北を喫しているのではないだろうか。
……。
3年前とはまた別の種類の切なさを感じながら家に帰った。勝利とはこんなにも脆い。