ネットレス

実家にはネットに接続しているパソコンが無いので、帰省中は全くネットとは無縁な生活だった。
普段調べ物も書き物もネットに頼り切っているのでネットが無い状態と言うのを想像するのは難しく、それは例えば「自転車に乗れない」と言う感覚を今から思い出すのがほとんど無理と言うのにも近い事なのだろうと思っていた。けれども、実際にネットから切断された状態になったらなったらで特に問題なく物事は通り過ぎてゆく。調べようと思い立った事、これはテキストデータにしておこうと思った事、アイデアや思考の断片、買おうと思っていたものの下調べ。そういう事の一々が、ネット及びパソコンが無ければ無いで特にどうということもなく処理できる、処理できなければ単に忘れてしまう、と言う事に気付いた。そして、忘れてしまっても別に支障は無い。
要するに、道具に使われかけていたと言う事なのだと思う。色々な事がネットを使うと出来る、と言うのが、何時の間にか色々な事をネットを使ってしなければいけない、に摩り替わっていた。自転車に乗れない感覚は思い出せないが、ネットの無い生活はすぐに思い出す事が出来たし、それに慣れる。感覚は一度身に付くと取り外せないが、道具は使う/使わないの選択が出来る。手元にあれば使ってしまうのは確かだが、ネットは「使わない」と言う選択肢を含めて使いこなす事が自分には必要らしい、と実家での一週間の間に考えていた。と言うか、実家から戻って来て不時着舟のミスナビさんややさぐれ日記暫定版さんを読んで思った。ネットで。



今日、街を歩いていたら沖縄料理屋らしき店を見つけた。店先にに品書きが置いてあるので、どんな料理を出するのだろうとそれを読んでみる。定番のゴーヤチャンプルーやソーキそば、それからなんだか良く解らないカタカナの料理の名前が連なっているところに妙な文字列を見つけた。
「スパムおにぎり」
スパムってスパムメールのスパムだと思うんだけれども、全く料理の内容が想像出来ない。ちょっと考え付かない言葉の組み合わせのせいで、おにぎりと言うのも全く異邦の言葉のように思えて来る。何だこれは。疑問は解消されなければならない。
……。
実家でネットが必要なかったのは、単に田舎だったからのような気がしてきた。