読書

元から本はほとんど読まない方だが、最近特にそれが酷くなって本当に読まなくなって来た。理由として考えられるのは、まず集中力が続かずに本になかなか入り込めないので読む気があまり起きない事、そして本から受ける刺激がキツくなってきたような気がすると言う事。要するに、肩の力を抜いて楽しめるエンタテインメントなものは読めても、人間の真実を抉り出す重厚な文学作品は全くと言って良いほど読み進められないし、ショッキングで強いインパクトのある問題作や、読みながら深く考えさせられる社会派の小説、あるいはノンフィクションやルポを読むのも辛い。ついでに言うと、設定をしっかり理解しながら読む事を求められるSFも辛いし、歴史小説に至っては登場人物が多過ぎて名前を覚えられない。本を読むにあたってものすごく受身と言うか、楽して読みたいとか過度の刺激を受けずに何も考えずに文章を享受したいとかそういう感じになってきた。
良くない兆候だと思う。良い読書体験をを得るにはそれなりの対価を必ず支払わなければならない。努力しながら読書しなければ読書の快感はどんどん先細りしていくばかりで、俺は実際そうなりつつある。以前はそんな事は無かった。特に、高校生の頃は今よりも随分読書欲が旺盛で、多少理解し辛かろうと忍耐強くページをめくり続け、その結果として確かに良いものを読んだと言う感慨と達成感と読書の楽しさを得る事が出来ていた。何時から読書する努力をしなくなったのだろうか。一体どれだけ読めば実用的なシーンが現れるのだろうと焦れつつも我慢強くサドの小説を読んでいた高校の頃が懐かしい。


電車の中で、土屋賢二のエッセイを読みながらそんな事をつらつらと考えていた(上で書いた事は、エッセイの中で述べられていた事と大体一緒だった)時に、ふと隣の席に座って俺と同じように本を読んでいる人の本の内容に目が行った。土屋賢二のエッセイだった。
……。
年の瀬。それでいいのかと思う。



さて、帰省するので今年の更新はこの日記もDislike Music(2003年の私的ベストアルバム書きました)も今日まで。しょうもない与太話に付き合って下さって本当にありがとうございます。
来年も、宜しくお願い致します。