必然

Faith No Moreの感想を書くのに使った必然性って言葉、自分で感想を書くときも、他人のレビューを読むときもしばしば見かける言葉なんだけど、意味合いとしては大きく二通りに分かれているように思える。
一つは、最適であると言うか、「そうであるべき」と言うこと。ある曲のある瞬間において、最も適切なアレンジなり音色なりメロディなりが配されている、と強く感じられる時に必然性があるって言葉は使われる。
もう一つは、「そうせねばならない」って意味での必然性。初期衝動とか強迫観念とかに駆られて作ったと言うニュアンスが、焦燥感や切実さが強く感じられるときに使われると思う。
一つ目の必然は曲の出来の良さに、二つ目の必然は表現者本人の姿勢に係わるものなんだけど、俺はどうも二つ目の意味の方をあまり重視していない気がする。少なくとも、自分にとって衝動や焦燥から来る必然性は最も重要なファクターではない。
いや、強烈な感情の発露だってあったらあったでそれはガツンとやられるんですが、無いからと言ってダメだと思うことはあまりない。これは、曲が良ければまあいいかな、って言うすごく単純な考えのせいもあるし、緻密に作り込まれた職人気質なものに魅力を感じるのもあると思うが、それ以上に作った人のパーソナリティへ興味が向かないからってのが大きい。
「そうせねばならない」を重視するならば「何故そうせねばならなかったか」と言う問いが発生するわけで、俺にはその問いが……なんていうか、しんどいんですよね。音のその向こう側にあるもの、それが作られた経緯や表現者のパーソナリティ、感情、に思いを馳せ、類推したりするってのが。すごく疲れる。共感とか共鳴とか自己投影とか、そういうのも生理的に苦手。
音楽に音楽以上の意味を求めようとする物言い(ロックの物語ってやつです)にどうしても違和感を感じるのはその辺に理由があるように思う。そのテの言説って良くない意味での客観の欠如がセットになっている事も少なくなく、それがまたキツい(ただ、キツいからと言って他者の考えを否定して良いって事には勿論ならない)。
表現者の精神性が作り出された音楽に色濃く映し出されるのは当たり前ではある。んだけど、俺はその精神性の中でも「曲の良さを磨き上げよう」って言う一つ目の必然、最適性を実現しようとする信念の方により反応しているのだと思う。