「これはドリルではない。繰り返す。これはドリルではない」

最近、本屋で「脳を鍛える大人の計算ドリル」(ISBN:4774307254)がざらざらと平積みされているのをよく見るが、あれを見かける度に、小学生の頃に計算ドリルや漢字ドリルを本当のドリル型に丸めて手に装着して遊んでいたのを思い出す。実際は、計算ドリルや漢字ドリルよりも習字の時に使うビニル製の下敷きの方が簡単にドリルに出来て、なおかつ殺傷力も高かったんだよな。懐かしいなあ。あの頃は何をするにも無邪気だった。
よくよく考えてみると、大学に入って成人式を済ませてからも、プリングルスの空筒を腕に嵌めて人造人間の悲哀キャノンとか言いながら遊んでいたような気がするが、それは俺が小学生当時から23歳の今とさほど変わらない価値観を獲得していたからなのだと思う。
……。
どう言い換えようとしても無駄だ、とは自分でも思う。


ところで、上で言ってる「本当のドリル型」ってのは、勿論工作用機械そのものの型のではなくて漫画に出て来るようなとんがりコーンっぽい型の事なんだけど、ドリルって言って大抵の人がまず思い付くのは後者のとんがりコーン型の方ではないだろうか。知識として、実際のドリルはそんな形をしていない、とは知っていても。メイドとメイドさんが別物であるように、実際のドリルと「ドリル……それは男の武器」的ファンタジーの産物であるドリルさんは分けて考えた方が良いのかも知れない。
メイドさんドリルンベースとか、格好良くないですか。


暑は夏い

いや本当に。一日ごとに蒸し暑くなって来ていて、もう六割がた夏なんじゃなかろうか、と午後の一番暑い時間帯には思う。日は随分と長くなり、一九時を過ぎてもまだ外は明るい。時間とは止まらずに流れてゆくものだなあ、などと、これ以上ないくらい当たり前の事を帰り道に考えたりしていた。
その帰り道、くるり「アンテナ」を聴く。
「毎日は過ぎてく でも僕は君の味方だよ/今でも小さな言葉や吐息が聴こえるよ」(「How To Go(Timeless)」)
そういう感じ。書き方はAndyさんのところに倣ってみました。